(烏帽子山千本桜)

(伊佐沢の久保ザクラ・樹齢1200年)


(子守堂の桜)樹齢1020年



(薬師ザクラ)樹齢1200年

(山形市霞城公園 散りゆくさくら)



(米沢城址・松が岬公園)
2025年4月23日(水)
置賜さくら回廊

21・22日と山形の桜見物に行ってきた。

山形県の南部に位置する白鷹町、長井市、南陽町をつなぐ「置賜さくら回廊」と呼ばれる地域には巨木・古木が多く点在する。
桜の種類が多く、長い期間をゆっくり咲き続けるのだそうだが、今年は一気に咲きだしたらしい。
ツアー旅行と違って咲き加減を確認しながらホテルをとることができた。
夫の感が見事に当たって、すべての種類の桜が一気に満開を迎えたまさに最高の桜見物となった。

樹齢1200年という古木の桜を見ることができた。
この地方には巨木が多くみられた。

雪の重みで枝が折れてしまい残されたわずかな枝に花をつけた「伊佐沢の久保ザクラ」の姿に感動を覚えた。
同じような姿の古木には、それぞれ呼び名がついている。
地名だったりいわれからから名付けられた桜が多く点在し、とても覚えきれない。

行く先々で、地元の人からいわれなどを聞くことができたり、接待を受けたりと思い出深い旅となった。

(郷土料理で接待を受ける)鮎貝八幡宮

特に忘れられない出来事があった。
南陽町の双松公園でのこと。

親子連れらしき人に声をかけた。
親切に地元の桜情報を沢山話してくださった。
急に我が家の車の那須ナンバーに反応し、数年前に会ったことのある人について話し出した。
お嬢さんは 打楽器をしているという。
名前など知らないという。
ただ一つのキーは「シャクナゲの会」で出会ったということだけだった。
お嬢さんが打楽器奏者ということだけで、私は夫のリコーダー仲間のSさんではないかと直感した。
那須には同じ条件の人はたくさんいるであろうが、ドンピシャだった。(今日Sサンに連絡して、数年前にシャクナゲ会に参加していたということがわかった)
2日目に米沢の桜を見物しているとき、再び同じ親子?に出会った。
あまりの偶然に 思い出深い桜狩りとなった。





2025年4月16日(水)
満開の桜

コンピューター仲間のランチ会食会がコショネというレストランで開かれた。
ここのレストランは、週替わりでメニューが変わるお店だそうで、それぞれが予約しておいたメニューのランチを楽しんだ。

今日の主たる目的は桜見物とランチを楽しむこと。
地元大田原では少し遅い桜が、那須塩原では ほぼ満開の状態で見ることができた。

少し風が冷たく花冷えと感じる日となったが、リニューアルオープンしたばかりの千本松牧場で 満開の桜を見ながら冷たいアイスクリームを頬張った。

何本かの桜の木に 緑の葉をつけた枝が目立っていた。
「てんぐす病」(初めて聞いた言葉)と言われているらしい。緑の枝葉が密集して発生している姿があちこちに見られた。


桜の木は切らない方が良いと言われているのは、切り口をそのままにしていると切り口から細菌感染して腐ってしまうからだと言われている。
しかし、てんぐすは早く切らなければいけないらしい。
毎年何もしなくてもきれいに満開の花を咲かせるのは不思議なことではないと思っていた。
いつまでもきれいに咲かせるのは大変なことで、手入れが必要なのだと、改めて感じた。


また来年も満開の桜を愛でたい。


2025年4月14日(月)
バースデイ

今日は夫の誕生日。
離れて暮らす子供たちから お祝いのメッセージが届く。
昨年インドに帰国した家族からもお祝いのメッセージが届いた。
他人の手を借りないで 生活できていることは立派なことだと思う。
穏やかな気持ちで 好々爺でいてください。。


黄色の蕾のようなテーブルヤシの花が、花弁が開かないまま落下している。


先日一粒の花をばらばらにしてみた。
雌しべ、雄しべ、花びら(?)かと思われるが この一粒が花なのだろうか?


雄花と雌花があるらしいが、我が家の花は雌花なのか?

今年も疑問を抱えたまま落下した花を眺めている。

2025年4月13日(日)
おや?梅雨入りでは無いよね!

朝から しとしと雨模様。

日替わりで天気が変わる。

昨夜のうちに洗濯を済ませ、リビングに干して寝た。
床に就く時間は遅くなったが、正解だった。
昼頃にはすべて乾いた。

窓の外に無数の水滴をつけたサンパラソルの蔓が見える。

今日は温かいものをいただきながら一日家の中で過ごす。
雨のおかげで 良い休養日になった。











2025年4月12日(土)
ぽかぽか陽気

直射日光を浴びると肌がヒリヒリしそうな位の陽気になった。
今日は、無理しない範囲で歩くことにした。
目的は、八重桜の様子を見ること。

5分咲きぐらいだろうか、濃いピンクの花びらが華やかでかわいかった。

ソメイヨシノは散り始めていた。
先日は気づかなかったが、第一球場と第二球場の間に白い花色の桜の木が二本 満開に咲いていた。
ソメイヨシノとは全体の姿が違う。
おもしろい。

美原公園の桜の木は いずれも幹が太く老木になっている。
いつまでも美しく咲き続けてほしいと願う。

あすなろの木肌が芸術的で楽しい。
自然に作り出されているのだろうが、見ていて飽きない。

我が家の室内で咲いているテーブルヤシの花が 
まだ緑色のものと、山吹色のもの さらに毛筆のように広がり始めたばかりの花穂状ものが同時に見られて面白いと思った。


明日は雨になるらしい。
1時間ほどの散歩だったが、気分爽快で楽しかった。

スズランスイセンの花

イカリソウの花

2025年4月10日(木)
スズランスイセン

庭に春の花が咲きだしている。
天気は今にも雨が降り出しそうだ。

昔 生物の先生の机に 赤いスズランスイセンの花が飾られているのを見て驚いたのを思い出した。
赤いインクの水を吸い上げて、赤色に染まったスズランスイセンの花が出来上がったのだ。

孫と一緒に試してみよう。
今はインクの瓶などないが、絵の具が代行してくれるかな?

美原公園の桜









県北体育館と桜

母校の大田原中学校

これから満開を迎える八重桜
2025年4月9日(水)
近場でお花見

大田原市の運動競技場周りが 満開の桜だった。
風が強く飛ばされそうだったが、歩いて桜見物をしてきた。
強風だが、満開になったばかりの桜の花は散ることもなく、風に揺れていた。
母校である大田原中学校の周りにはメインの総合競技場や、第一球場、第二球場などがある。
古木になった桜が花をたくさんつけていた。
母校の桜は痛んだ枝が切り落とされた姿になっていた。
卒業してから60数年が過ぎているのだから仕方がないのだろう。
少し寂しい。

池があったところは駐車場になっていて、周りには八重桜が植えられていた。
ここはまだ2分咲きといったところだった。


車を使わずに歩いてお花見をしたのだが、昨日のような息苦しいウォーキングではなくなった。
ウォーキングが三日坊主にならなければ、体力が戻ってくるかもしれないなと感じた。

2025年4月8日(火)
体力が落ちてる

お天気も良いし、トレーニング教室まで歩いていくことにした。
10分ほどの距離だが、途中で首の周りと肩が重だるく痛みだし、膝までがかくかくしてきた。

準備運動のつもりだったが、教室に着いた時には
くたくたになっていた。


如何に体力が落ちてしまったか。
筋力がないと感じて筋力トレーニングに通いだしているのだが、今日の歩行の辛さには危機感さえ感じた。
少しくらいの歩行で息が上がるようでは かなりまずい。

歩くのが習慣になるよう 努力してしていかねばと感じた。

夜のことだが、グラウンドの周りの桜が満開になっているのを見た。

明日はゆっくり歩いてお花見をしてこよう。
お元気ですね!と言われるようになりたい。

グラウンドの奧には那須連山が

芽吹きだした銀杏の木

百村川沿い



銀色に輝くプラタナス
2025年4月5日(土)
桜だより

大田原はまだまだ寒い日が続いているが、各地で桜の花が満開になったという便りが届いている。

孫は今日、明日とミニバスケのオープン戦に出ている。
6年生だけで5名を確保するのは難しく、低学年の子供も混ざって対戦している学校が目立つ。。
最近はバスケを楽しむ子が増えてきたようだが、部員集めには四苦八苦しているようだ。

第1戦と2戦の間に空き時間があったので運動公園の周りを散歩した。
グラウンドでは中・高生たちがトレーニングに汗を流していた。
河津桜は葉桜、
ソメイヨシノは2分咲きといったところだった。
空気は冷たいが、暖かな日差しが春を感じさせてくれる。
大きな銀杏の木は、新しい小さな芽をたくさんつけている。
プラタナスの木が、日差しを浴びて美しい銀色に光り輝いている姿が美しかった。

数年前まではさっそう(?)とウォーキングを楽しんでいたのに、今ではのたのたと歩く姿になっている。
1日1度は外へ出るように心がけようかな!?


テーブルヤシの花が色濃くなってきた
にりんそうの花

山吹の花

アブラチャンの花

ボケの花

ピンクのゆきやなぎの花
2025年4月4日(金)
やっと春到来?

空気は冷たいが 少しだけ春らしい陽気になった。
日差しがあるだけで気持ちがハイになる。

一気に花が開花してきた。
まだ1輪2輪の開花段階だが、春を感じる。

那須塩原駅までの沿道に桜の花やこぶしの花が
沢山咲きだしていた。


見とれていて タイヤがセンターラインを踏み、慌ててハンドルを切り替えることがあった。
あぶない!危ない

那須塩原市の公民館でモラ教室があり 出かけたのだが、令和7年度から部屋の使用料制度が始まり お金を納めないと部屋を使えなくなった。
無料で使える公的施設はなくなっていくのかもしれない。
大田原市は、まだ施設使用料の有料化の話は出ていないが、時間の問題かもしれない。

早春賦の歌じゃないが、早く散歩したくなる陽気になって欲しいなと 春を待ち遠しく思う。

テーブルヤシの花

クリスマスローズ

2025年4月3日(木)
真冬並みの寒さ

4月に入ったのに、毎日震えるような寒さが続いている。
1日の日は、公民館でパソコン仲間の集まりがあったが、空調設備の工事中とのことでコートを着たまま定例会が行われた。
途中で職員が大きな石油ストーブを設置してくれた。


昨日も今日も10℃以下の気温で寒い日が続いている。


例年1月末に花をつけていたテーブルヤシがやっと黄色に色づき始めた。
我が家に来てから18年になる。
小さかったが、今では70㎝程の大きさになっている。

雄花と雌花があるらしいことを今日初めて知った。
我が家の花には雌しべらしきものを見たことがない。
たぶん雄花なのだろう。
いつも 硬い蕾のような花が 開花しないでぽろぽろ落ちてしまう。
今年は早い段階で 間違えて花芽の茎を1本落としてしまった。
今年は房のような茎が3本だけだが 出ているので面白い花の様子を見ることができる。

近所の友達からクリスマスローズの切り花をいただいた。
我が家は、やっと二輪の花が付いただけで とても切り花には出来ないが 頂いた花で部屋が春らしくなった。




2025年3月28日(金)
慌ただしい一日の始まり

「流しの排水ができないので業者さんに連絡して」欲しい」と言って起こされた。
昨夜 私は遅くまで作り置きのミートソースを作っていた。
流しを掃除していて、排水が悪いのには気づいていた。

その前には 娘が一生懸命に流しの排水口を掃除してくれていたので、何かを流して 詰まらせたかなと思っていた。


流しには排水できない水が溜まっている。
スポイトを使えば何とかなるとは思ったが台所用などない。
咄嗟にスポイト代わりに、排水溝の網にビニール袋をかぶせ 数回吸引のようなしぐさをしてみた。
流れ出した。
何回かに1度は詰まる。
しかし、流したものがボトルのキャップだという。

業者さんに来てもらうしかない。

午後一で来てくれた。
流しには水がない状態で待つことにした。

物の数分で「ありました」と、問題のキャップを見つけてくれた。
S字管の最後と蛇腹管のつなぎ目に、青いキャップが蓋のように乗っていた。

大事にならずに済んで、ほっと胸をなでおろした。







2025年3月24日(月)
春の花は元気をくれる

濃いピンクのカランコエの花が満開に咲いている。

去年の誕生日に お隣に住んでいたインド人家族からいただいた花で、 大切に育ててきた。


なんとなく体調も良くなってきた気がして、運動公園の近くを流れている百村川縁の河津桜を見に出かけた。
少し肌寒く感じたが、久しぶりの外の空気は気持ちが良かった。
残念ながら ほとんどの木が2分咲きだった。
2~3本の木は8分咲きになっていて、それだけでも浮き浮きした気分になった。



少し歩いただけで 疲れを感じた。
運動を再開しようと思ったが、今日はやめた。


日ごとに変わる寒暖差 私のような老人は体調管理に苦慮し 植物も開花時期を決めかねているのではと思う。

間もなく咲くであろう 満開の桜の花を楽しみに待ちたい。







2025年3月22日(土)
シーリングファンの交換

20年近く使ってきた天井に取り付けたファンが調子悪くなり、交換した。
リモコンの問題かと思ったが、センサーが故障したようだった。
変な音もなくなり、静かに動くようになった。

次から次へと故障の電化製品が出てきている。
冷蔵庫の冷凍室部分のトレイが歪んで収納され 動かなくなってしまった。
自分ではどうすることもできず、電気店の方に来ていただき トレイを壊して外し 新しいものに交換してもらった。
ついでに、チルド室の扉も爪が壊れていたので 交換してもらった。

幸い10年間の無料保証がついていたので、部品代だけで交換が完了した。
ラッキーだったのは、買ってから9年目の時期だったことで、もうしばらくは買い替えを考えなくてよさそうだということだ。
ただし、大型電気製品は省エネが進んでいるので、買い替えたほうが電気代は少なくて済むのかもしれない。

ストレスなく 快適に生活していのは 大変なことだと感じた。







2025年3月21日(金)
春はそこまで来ているが・・・

大田原の最高気温は16℃。
まだまだ暖かいとは言えない。

昨日は家族で墓参りに行ってきたが、梅の花には蕾が多い。
立ち上る線香の煙はほとんどなく、花の飾られたお墓も少ないのにはびっくりした。
お墓だけが残っていて 住民はどこか遠くに住んでいるのかもしれない。


毎年墓じまいをする家が増えているという話も聞こえてきて、何となく寂しい気持ちになった。


寒々とした我が家の庭に、クリスマスローズの花が
1輪咲いているのを見つけた。

この花は、夫から毎年雑草と間違えられて刈り取られているのだが、何とか耐え抜いて咲き続けてくれている。

明日から気温が上がり、梅も桃も桜もみんな一緒に咲くのかもしれない。
春のぽかぽか陽気が待ち遠しい。

2025年3月19日(水)
毎日・毎日咳だけして・・・

なんとなく咳が出ると感じてから いつの間にか風邪ひき患者に。
しかも、夫婦そろって。

お腹の調子が悪いと 先に医者にかかった夫に続いて 翌日私も医者にかかった。
予防の意味で医者に行ったのだが、日ごとに咳が酷くなっていった。

発熱はないが、体のあちこちがピリピリして寒気がしていた。
5日分の投薬を受け ひたすら横になって過ごした。
3日目ごろから少し咳の回数が減った。
回数は減ったが、息を吐くときのヒューヒューという嫌な音は消えないでいた。
寝てばかりいたからか 腰が重く痛みも感じるようになって 真っ直ぐに立てなくなった。
2年前 コロナにかかって長く寝付いたときも 同じような腰の痛みを感じたのを思い出した。
薬の量が増えると思いながらも、痛みを取り除きたい思いで 更に痛み止め薬の追加を受けた。
腰の痛みは薄れたが、服薬後の胃の焼けつくような不快感は残ったままだ。

すでに同じような風邪にかかり 完治するまでに1か月もかかったという友人の報告を受けている。

長引かせたくはないが、しっかり焦らずに治すことに専念したいと思う。


サンパラソルの花

那須山 福島県の山々

髙原山

男体山 女峰山

オオイヌノフグリ

カランコエの花

ふれあいの丘

セツブンソウ

クロッカス

クロッカス


東那須野公園
スイセンの花



開花を待つ梅の花
2025年3月11日(火)
春を感じる

日差しがなく、部屋にいると寒々しい感じがする。
年末から咲き続けているカランコエの花が唯一部屋に春を感じさせている。
暖房のない部屋で、咲き続けていたサンパラソルの花も、2つの蕾が大きくなり咲いた。
まだ小さいが 蕾もできている。
このままいくと昨年の5月から途切れることなく 1年間咲き続けることになりそうだ。

昨日、あまりにも山がきれいだったので スマホだけ持って良く見えるところを探しながら、歩いた。
昼近い時間だったので、朝見た時よりも鮮やかさが失せていた。
明日は早い時間に撮影しようと思っていたが、残念ながら今日は山の姿はない。
散歩していたあぜ道に 群生しているオオイヌノフグリが咲いていた。
寒い寒いと、外を歩くことなど全くなかったが、知らぬ間に春の草花が咲きだしていたのだ。

まだ間に合うかもしれないと思い、セツブンソウの花を探しにふれあいの丘へ出かけた。
かろうじて咲いているセツブンソウにあえた。
少し遅かったようだが、間に合ってよかった。
地味な花だが、春の近いことを告げているように思えた。
小雨が降り出していたが、更に東那須野公園に出かけた。

見慣れた豪華なスイセンの美しい姿はなく、 寂しい感じに咲いていた。
梅の花は、蕾をたくさんつけていたので、暖かい日が続けば満開の梅の花を見ることが出来そうだ。






2025年3月10日(月)
クッション仕上がる

インディオの少女を描いたクッションが出来上がった。
先に作った赤色系のクッションと対になっていて、二つを並べて置くと部屋がぱっと明るくなる。

完成するのを楽しみに刺しているのだが、人の為になるわけではなく 「物が増えるだけかな」と思うと
これでいいわけないよな!と思ったりする。


そろそろモラからほかの楽しみに乗り換えようかな?

2025年3月8日(土)
何か おかしくない?

壁に貼られた「価格据え置き」という文字に目が行った。
ある商品の変更事項についてである。
今まで1袋 30回分が27回分になりますよという知らせだ。

どう考えても量が減って 値段が同じなら値上げと一緒ではないか?
なぜこんな変な書き方をするのだろうか?
すごく腹が立った。


時々スーパーなどでの買い物で、値段が抑えられているなと思って中身を確認すると 減っていたということがしばしばある。
これは、だまされたとは思わない。

私は正直に、値上がりを表示した方が良いと思う。
その方が、今のご時世だから と納得できるから。

2025年3月4日(火)
おや おや?

昨日は朝9時ごろから午後の2時ごろまで激しく雪が降った。
春の雪で、今朝はもう雪の景色はない。
ただし、今夜から再び雪になるらしい。

昨日の朝 登校時は雨で、傘をさして出かけた孫だが 下校時には雨も雪もやんで 傘はくるくるたたまれていた。
明日の朝はかさの出番があるだろうと思い、乾かそうと開いた傘はトップあたりが泥だらけになっていた。
10㎝ぐらいの深さの土に差し込んだのだろう。
帰宅時間が遅く感じたが、なるほど とうなずけた。

まあ かわいい悪さと笑って過ごせるが、思いもつかない悪さもする。

早く分別のつく年齢になってほしいものだ。

2025年3月2日(日)
月日が跳ぶように過ぎていく

毎年感じることだが、1月はゆったり過ぎていくのに対し、2月はあっという間に過ぎ去る。
誕生日も過ぎ、80歳になるまでのカウントダウンが始まった。

夫婦で元気に過ごせればよいが、先のことはわからない。
自然に穏やかに歳を重ねていきたいと思うが、体が重く感じ 走ることができないくらい老いを感じる。

何の心配事もなく ニコニコしながら日々感謝で送れたらよいのだが、たぶん私にはそんな日は一生来ないだろう。
些細なことに腹を立て、見て見ぬふりをすることも出きず口出ししては叱られる。
こんな毎日の繰り返しだが、子供や孫たちの成長に大きな喜びを感じる。

願わくば、穏やかな爺婆で居たいと思う。

2025年2月28日(金)
秘密の紐

女性だけの筋トレの教室に通いだして 間もなく3年になる。
自分の健康が気になり、自ら進んで参加した教室だからやめたいとは思ったことがない。

月に1回、測定の日がある。
ヒップ、ウエスト、体重、筋肉量、脂肪量などである。
更に、前日のたんぱく質量摂取量も数字にして確認する。

人によってはお腹周りが10cm減ったとか体重が10Kg減ったという話を聞くが、私には全く関係がない話で わずかな数値の上がり下がりを気にするくらいが毎度のことなのだ。

1月にお腹周りを測定し、同じ長さの紙テープを渡された。
3月に入るとまた計測の日が来る。
渡されたテープで、その後の変化を確認するのだ。

お腹周りはほとんど変わりないが、その他の数値は変化が大きそうだ。

歳をとると、ごまかし笑いが上手になり オーバー気味の数字にも動じない。

気にも留めていなかったウエストを測ってみたら、20代の時の5/4になっている。
これじゃ孫からデブと言われても仕方ないなと思った。
そもそも、持っている服のウエストはほとんどがゴム仕立てになっている。
生地も伸縮自在なのだから ウエストがどんどん大きくなって当たり前のことなのだ。

もう一本ウエスト用の秘密の紐を用意して、くびれのあるウエストにしたいものだ。

2025年2月27日(木)
ドキッ !

夕食時のこと。
あさりの味噌汁を飲んでいた孫が、「これ何!?」と言ってお椀を自分から遠ざけた。
5~6mmくらいの肌色をした蟹の形をした生き物らしいものが、味噌汁に浮いている。
あまりにも小さすぎて よくわからないが蟹の形をしているように見える。
顔を近づけて観察するが、透明のような体で気持ちが悪い。
孫はもういらないという。
「大丈夫よ」とは言ったものの、触るのも気味が悪い。

貝類が大好きな孫なのに、これで食べなくなるのでは?と心配になった。
しばらくの間は あさりの味噌汁はやめよう。
蜆ならOKだろうか?

それにしても どこに忍び込んでいたのだろう。
最後の一粒になるまで気が付かなかったことも、不思議なことだ。

孫息子愛用の鉛筆


孫娘愛用の鉛筆
2025年2月23日(日)
超ミニ鉛筆

第3寒波襲来と言われている。
雪こそ降っていないが非常に寒い。

夫は寒さに負けず、グラウンドゴルフに出かけた。
孫は、昨日今日とバスケの練習試合に出かけている。
孫の母親は当然のこと、子供の付き添いで出かけている。

家の中でじっとしているのは私だけ。
タイミングよく、カナダの孫からラインが入った。
おしゃべりしていく中で、お米の値段の違いにびっくりした。
アメリカ産米とは比較にならないが、日本では5㎏を3700円で買っているのに対し、カナダでは、6.8kgが1800円だという。
異常なほどすべての値が高い。
何とかしてほしい。

今の時期には関係ないのだが、孫たちが長さが超ミニの鉛筆を使っているのには驚いた。
親指と、人差し指でつまむかのように持って宿題をする姿を何回も見てきている。
長い鉛筆を使うようにと促すのだが、一向に止めない。
カナダの娘も持てないくらい短い鉛筆を使っているそうだ。
ただし、家でのみ使うとか。
奇麗に削られているのがすごい。

自動鉛筆削り器では削り上げることはできない。
携帯用の削り器で、頭を使って削る。
何が面白いのか、偶然にも孫同士がチビた鉛筆を楽しんでいる。
物を大切に使うと 言うのとは少し違うかな?

2025年2月18日(火)
寒さ戻る

3日間くらい温かい日が続いたが、今日は一転して寒い。
正午の大田原の外気温は5℃。
朝6時40分から部屋の設定温度を22℃にしているが、午前中は18.5℃位にしかならず、下半身が寒くてしょうがなかった。
午後に入って気温が上がってきたからだろうか、室温も20℃近くになってきた。

空気を撹拌するためにファンを使っているが、ここ数日リモコンが作動しなくなり、会社に問い合わせしたところ20年も前のものは部品がありませんという。
本体のセンサーの故障が考えられるというのだ。

昨日は業者さんに来てもらい、新しいのに付け替えることを検討した。
ところが、どういうわけかまた動き出している。
しかし、これも時間の問題でいずれ動かなくなると思われる。

次から次へと電化製品の交換が起こっている。
次は何になるのか?

先日通販で買った裏起毛のぶかぶかパンツが、活躍しだした。
下半身が寒いので、ズボンを二枚重ねばきしてみた。
足元も、ソックスを二枚はいた。
こんな格好考えてみたこともないし、してみたことなどなかった。
しかし、暖かい。

外には出ていけないが、部屋の中にいる分には最高の暖かさだ。
歳をとってくると、体裁なんてあまり気にならなくなる。
私だけのことかもしれないが…

家の中で遊んでいるわけだから、あまり贅沢はしないようにしている。
無駄な買い物をしたと思っていたパンツが有効活用できてうれしくなった。

外は時々風に乗って雪が舞っている。
もうすぐ誕生日が来る。
こんな寒い時期に生まれたのだなと、昔の人の苦労がしのばれる。





2025年2月16日(日)
モラ

孫に頼まれた干支のモラが完成し、続いてクナの女の子をデザインしたクッションを作り始めた。

昨年は赤色系のクッションを作ったが、今回のは青色系のクッションになる。

相変わらず細い線が出てくる。
モラを刺す順序に頭を使う。

青の布に刺した蝶の図案がうまく紺色の布の下から出てくるか?お楽しみとなる。

紺色の部分はスカートになる。
これから顔、腕、ケープと刺して最後はクッションの形にして仕上がりとなる。

意外と順調に進んでいるので、仕上がりが楽しみになっている。

2025年2月13日(木)
今日も吹っ掛けが

大田原に戻ってきてから20年近くなるが、今年のように寒い日が続くのは 初めてだ。
今日も朝から強風に乗って粉雪が舞っている。
室内は設定温度に上がっていかない。

孫の服装はというと、まるで昔の子供の頃の私そっくりだ。
6枚の服を重ね着しているという。
6枚共に薄い化学繊維でできているので、6枚着てももたつく様子はない。
私はというと、綿の下着を2枚、毛糸のセーターを2枚、その上にトッパーという半コートを着ていたように記憶している。
孫の場合、同じ厚着でも材質が違うので着ぶくれ感がない。

現在の私は、年齢とともに厚着になっている。
下着はウルトラ極暖と言われている化学繊維でできている。
着た時もこもこする。
下着は1枚だが、ウールのセーターを2枚重ね着している。
それでもまだ足りないくらい寒い。
完全に雪だるまのようだ。

ウールのセーターを孫のように化学繊維でできている薄物に変えたらどうなるのだろう。
同じように暖かいか、それとも暖かさが増すのか?
試してみる価値がありそうだ。


2025年2月12日(水)
くせ?

癖というか仕草の中に、人によって違いがあることに気づく。

孫とじゃんけん遊びをよくする。
勝負をするときカウントに手を使うが、先ず勝った方が一本勝ったよと知らせるのに私と表現が違う。
孫は、人差し指を立てる。
私は親指を折る。
これが1の意味なのだ。


私からすると、変なことするなと思う。
ついでに娘と夫にも聞いてみた。

娘も孫と同じく人差し指を立てた。
孫と一緒!
夫は私と一緒で親指を折った。

ネットで調べたところ、親指を折って1とする画像は見つからなかった。
みんな人差し指を立てて、1とカウントする画像ばかりだった。
私たち夫婦のように親指を折る数え方は特殊なのだろうか?

次に「グー」を作るように手を握ってみた。
これも娘親子と私たち夫婦で違っていた。

こんなにも違いがあるなど知らなかった。
孫がほかに何かあるかと聞くので、ぞうきんや布巾などはどうする?と聞いてみた。

布巾などを縦にした時、右手の甲が手前に来るか?、右手は上か下か?
家族の中でも三人三様で、様々だった。
そもそも私は縦にして絞るということは、お茶の稽古の茶巾絞りで覚えたことで、何も考えないで絞る仕草は横にもって絞っている。

足の組み方などもそれぞれが違う。
当たり前に同じと思っている仕草に、こんなにも違いがあるのだなと思った。

2025年2月11日(火)
孫の遊び相手はおばあちゃん

学校で校長先生の特別授業があったそうだ。
長方形の紙を一ヶ所折り、鋏を使って3ヵ所に切り込みを入れて形を作った。

出来上がったものを見せられて、同じ形を作るように言われた。
頭が固くて、家族のみんなが作れないでいた。
マジックのようだったが、孫に教えてもらって同じ形が作れた。
面白いなと、楽しかった。

πの数字覚えは、かなり苦痛だった。
その気になれば覚えられるから、今すぐ覚えるようにと言い渡された。
玉ねぎを切りながら区切って覚えるのだが、41桁まで覚えるのがやっとだった。
これは寝る頃には忘れているだろう。

子供の頭は軟らかいなと感心した。

2025年2月10日(月)
どこに消えた?バレンタインチョコ

我が家の孫と夫に バレンタイン用のチョコレートを買ってきた。
当日までは目のつかないところへ保存することにしていた。
ふと、用意しているチョコレートの保存先が思い出せなくなった。

せっかく用意したのに14日はもうすぐやってくる。
目につく戸棚を開けてはみるが、全くない。

娘に、お母さんならきっと袋に入れてしまうよね!と言われてぱっとひらめいた。
廊下のクローゼットの隅に 手提げに入れたチョコレート2個がぶら下げているのが見つかった。

以前は仕舞い忘れすることなどなかったのに。
誰の目にもつかない 所選びはよかったが、忘れてしまうとは・・・
これからはメモ帳に書き込むことにしよう。

最後の1輪

2個のつぼみ発見

昨日の雪 吹っ掛けかな?

2025年2月9日(日)
いつまでも頑張る サンパラソル

日本の各地から大寒波による大雪の情報が届いている。
大田原は大雪から逸れてはいるが、毎朝白い雪化粧になっている。
日差しがあるので雪は融け寒さだけが残っている。


昨年の母の日に頂いたサンパラソルの花がついに最後の1輪になった。
良く咲いたなと感心する。
休む暇なく咲き続けている花を、このままにしていても良いのだろうか。
よく見ると蕾が2個もあり、間もなく咲きそうだ。
咲かせないで 摘んでしまった方が本体にとっては好いのだろう。
分かっていてもできない。
たぶんこのまま咲くのを見ると思う。

春になったら 植え替えて少し養生させてあげよう。
伸びきった蔓は、思い切って切り落とした方が良いのか?
学習せねば!

2025年2月4日(火)
友人の訃報

1月末に友人の訃報が届いた。

年賀状が届いている別の友人からラインが来た。
嫌な予感を感じながら
受けた。

とても信じられない思いで 話を聞いた。
昨年 手を骨折して金属が入っていたので それを取り除く手術を1月末に受けたそうだ。
手術は成功し、用心のため更に1泊して退院を翌日に延ばしたらしい。
ところが、退院する予定の日にくも膜下出血を起こし、手の施しようがないということで 意識不明のまま4日目に亡くなったのだそうだ。

用心のために退院を1日延ばしたのに
病院にいながら命を助けてもらえなかった


事情はあったのだろうが、悔しいおもいがする。

告別式は6日早朝だそうだ。
この時期葬祭場は待ちの状態だったらしい。



昨年の夏、元気なうちに会おうね!と電話で約束していたのに・・・

気心の知れた親しい友達だったのに、一人欠けてしまった。
目を閉じると、仲間のみんなが 若い姿のまま脳裏に浮かぶ。
みんな元気そうに見えていたのだが・・・

まさかこんなに早く別れが来るなど 考えてもいなかった。

寂しいが、長い間の友情に感謝して、静かに見送りたいと思う。

2025年2月3日(月)
メジロが玄関先に

今日は立春 寒い日となっている。

今朝のこと。

昨夜の豆を掃除しようと玄関の扉を開けたとき 2m先に小さな鳥がいるのに気づいた。
よく見ると、体が緑色をしている。
メジロだと思い、すぐにスマホを取ってきた。

近づいても全く飛び立つ気配なし。
足で地面をたたいても動かない。

50gぐらいの卵の大きさしかない。
横たわっているのではないので生きているだろうと想像する。

かすかに体が震えているように見える。
夫が手を差し出して掌に載せようとしたら、ぱっと飛び上がって私の右腕に停まった。
こんな良いチャンスはないと思い、夫にスマホを渡すが撮り終えないうちに飛び去ってしまった。

見つけてから飛び去るまでの時間はほんの少しの時間だったが、
あまりにも動かないので 死んでいるんだろうか?
怪我をしていて跳べないのだろうか?
寒くて動けないなら保護してあげないと、
などなど考えていた。


鳥かごなどないしどうしようと思ったが、、飛び去ることができた姿を見て安堵した。

わずかな時間だったが、間近でメジロを見ることができてうれしかった。

2025年2月2日(日)
1ケ月遅れのお正月

今年のお正月は娘がインフルエンザでダウンしていた為 孫と私たちとの3人だけの祝いだった。

1か月遅れたが、昨日息子夫婦が新年のあいさつに来てくれた。
1泊だけしかできなかったが、お互いに元気な姿を確認でき楽しい再会を果たした。
カナダの孫娘たちともラインであいさつを交わし にぎやかなひと時を過ごした。

孫は おっちゃんと呼ぶ息子とお姉さんと呼ぶ息子のお嫁さんと一緒にバスケを楽しむことができて最高に楽しかったようだ。

今夜は 年男である孫が主導権をとって豆まきをしそな後で恵方巻を食べた。
豆まきは、孫がご近所に迷惑だから小さな声で というので小声で福は内・鬼は外と 豆まきをした。

けがや病気の少ない良い一年にしたい。

2025年1月28日(火)
足の骨折 治療終了

一時期ギブスをつけていたが、ほとんど動かさないようにじっと時の来るのを待って、治療が終了した感じだ。
毎回レントゲン撮影はしていたが、整形外科では
リハビリのようなことは何もしないで、傷口がつくのを待っていたという感じだ。


気のせいか、腫れも引いてきた感じがする。
足首の動きが鈍いが、少しずつ良くなっていくのだろう。

寝込むような怪我だけはしないように、良く自分に言い聞かせて生活していこうと思う。

2025年1月25日(土)
あれ!

通販で裏起毛というパンツを買った。
モデルがきれいに着こなしている写真をみて、買ってみようと思い発注した。

今日届いたのだが・・・
想像していたのとはかなり違う。
写真で見たパンツはしなやかな感じがしていた。
届いたパンツと言えば、、裾が広めで突っ張った感じがする。

身に着けるものは手に取って、試着して買わなければいけないとつくずく感じた。
外出する日は着ない。
寒い日の家庭着だけにする と決めた。

通販での失敗1号だ。

夫の一言、「それってばあさんの服を売ってるメーカーだろ!」。
ムッとしたが、確かに年配者向けのメーカーだ。

安易な気持ちで注文したのがまずかった。

少し見栄を張って若い人が行くショップで 自分に合ったものを試着して買わなければいけないなと感じた。
面倒でも外出の時は着替えて出かけよう。
それなりのお金を出したのに、悔しさだけが残った。

2025年1月23日(木)
頻尿?

頻尿と書いたが私のことではなく、夫の話。

夫自身が自分は頻尿ではないか?と思っている。
確かに一緒に外で行動していると トイレに行く回数が多いと感じる。
病院で診察を受け、3日間の摂取水分量や排尿回数と量を記録するように言われていた。
今日はそれら記録したものを持って出かけた。

医者からは正常の範囲内だと言われたようだ。


3日間測定中に 「おかしいな、緊張しているからか あまりトイレに行きたいと思わない」と言ってた。

医者から正常範囲内と言われ、安心したのだろうか?
それとも 治療につながる何かをもらえると思っていたのに当てが外れたと思っているのだろうか?

歳をとってくるとトイレが近いという話はよく聞く。
以前友達がトイレが近いので医者に相談したら、できる限り我慢をして時間を延ばすようにと言われたと言ってたのを思い出した。

旅行中には、トイレに行きたくなくても行っておこうと思うことがある。
トイレがなかったらと心配する結果、頻尿になるのかな?
脳の誤作動でトイレが近くなると感じるのか?

夫としてみれば、病名がついて治せたらよかったのかなとも思った。



2025年1月16日(木)

午前中は寒さが厳しかったが、昼頃から穏やかな暖かい日となった。

昨年の師走に入って足を怪我したため、最後の落ち葉を掃除できないでいた。
ほとんどがもみじの枯葉だったが、ごみ袋が3個になった。
厄介者の篠が、切っても切ってもすぐに伸びて困っている。
おおざっぱではあるが、伸びた篠を切り落ち葉を除いただけで すっきりした庭になった。

落ち葉の下には青々とした雑草がはびこっている。
怪我をした方の足を折って雑草取りするのはまだきつい。

せめて虫が出るまでは雑草のない すっきりした庭にしたいので 切り残しの篠と緑の雑草を取り除いていきたい。

2025年1月15日(水)
スパッツの補修

今年も孫のウエアーの繕いが始まった。
膝のあたりが穴だらけになる。
穴の開き具合を見ると摩擦による穴だとわかる。

「今日も転んだね」とママが言う。
「ウン」と孫。

どうして膝のあたりばかりに穴が開くのだろうと余計な心配をしていたが、バスケによる穴だったことが分かった。
小さな穴なので、「そのままでもいい?」と聞くと寒いから直してという。
孫には、継ぎ当てが恥ずかしいという感覚はなさそうだ。
幼児の頃から靴下、ズボン、シャツとあらゆるものを繕って着せてきているから、特別のことではないのかもしれない。

あと何年嫌と言わずに私の繕い物を身に着けてくれるかなと思うと、残り少ない時間を頑張って繕ってあげようと思う。

2025年1月14日(火)
美味しい食事

自分では出せない味のお食事をいただいたときは、すごく幸せを感じる。
家族に作る毎日の食事は、美味しいものを食べさせたいと思うのと同時にササッと作って早く自分の時間を作りたいと思う事が多い。

今日は娘がパスタを作ってくれた。
材料は冷蔵庫にあるものを見繕って特別なものは入っていない。
なぜか娘が作ってくれる食事はいつも美味しい。
仕事の合間のわずかな時間で作ってくれるのだが、美味しいなと感じる。
心がこもっているからかなと思うことがある。

今までの人生で心に残る美味しかったお食事がある。
家族5人が夫の転勤先から戻った時のこと、あいにく春の大雪だった。
家から出るに出られずにいたとき、親しくしていた友人宅から夕食のお誘いを受けた。
わざわざ我々のために用意してくれた炊き立ての真っ白の美味しいごはんとたっぷりの春キャベツを添えたカツを出していただいた。
久しぶりに食べた日本の美味しいお食事だった。
忘れることのできない心のこもったお食事だったことを思い出す。

夫が作ってくれる食事も、心を込めて作ってくれるのでおいしい。
見た目は少々雑だが、美味しいものを作ろう精神は豊富だ。

生涯現役で行こうなんて思っているが、もう少し心を込めて食事作りに貢献しようかなと、思った。

寒い庭にも、少しずつ春の訪れが



2025年1月13日(月)
困った白髪頭

昨年末に足を怪我し、美容院の予約をキャンセルしていた。
ギブスが取り外せるまでは我慢としていたが、さすがに外へ出るのも恥ずかしいほどの白髪頭になっている。

友達の中には、髪を染めるのをやめた人が数人いる。
私も80歳になったら染めるのやめようかな?と思う日もあるが、決断がつかない。

約二か月で髪の生え際が2cm白くなっている。
髪を染めないでいたら何ヶ月で全体が白くなるのだろうか?
真っ白になるのか?
マダラに白くなるのか?

母も姉も白髪になっていただろうが、思い出せない。
父は白髪交じりの髪をしていたのを思い出す。

いつまで美容院にお世話になるのかわからないが、幾つになっても小ぎれいでいたいと思う。



後日 蛇のスカーフに少し手を入れた
2025年1月10日(金)
モラ完成

足のけがをする少し前に始めた蛇の図案のモラが完成した。
私としてはかなり早く仕上がったことになる。
ただし、A3サイズくらいだから早くできて当たり前かもしれない。
これで孫との約束が90%果たせたことになる。

次は、クナ族の少女のクッションがそのままになっているので取り掛かろうと思う。

材料だけそろえて、手つかずのものもたくさんある。
少しずつ片付けていこう。

2025年1月7日(火)
骨折から1か月

12月に足を骨折して4週間がたった。
レントゲン撮影の結果、今日でギブスが外れた。
ほとんど使わなかった松葉杖も返却した。

4週間ギブスをしているだけで、治療というものは何もなかった。
安静にさせておくことが治療だったのだろうか。

1か月近く足を固定していたので、足首が固まってしまった感がある。

少しずつリハビリをして回復させていこうと思う。


靴を履いて、自由に外を歩ける喜びは格別なものだった。

2025年1月4日(土)
ラーメン

今日は1週間ぶりにインフルエンザが治って 娘がリビングに戻ってきた。
貴重な冬休みをほぼ隔離生活で終わろうとしている。
娘は息子のミニバスケの初練習日で、付き添って出かけている。

後は 私の足のギブスが外れれば、万歳なのだが。


昼食に夫が作ってくれたラーメンをすすっていた時、テレビでケンブリッチ大学の教授がラーメンを研究しているという番組が放映されていた。

偶然にも、今食べているラーメンと同じ山形県のラーメンの話をしていた。
面白かった。

我が家はよくラーメンを作って食べるが、夫はこってり系が好きだし、私はできれば鶏がらスープのあっさり系が好きだ。
折り合いをつけながら食べることが多い。

今では、家で作って食べるのが当たり前になっているが、昔は出前を頼んで食べたことがあったなと思いだす。
家に届いたときには伸びてしまっていたりとか・・・
そもそも家でラーメンを作るという発想がなかった。

今でも出前をしてくれるお店があるのだろうか?

街中には ラーメン店はたくさん有る。
口コミで美味しいと言われると お店に出かけて食べることは多々ある。

来客があっても、ラーメンを取り寄せることは全くなくなったな~と感じる。





2025年1月2日(木)
年の初めに

子供たちから初詣や、寒中水泳の様子が送られてきた。
おみくじを引いたり、鐘をついたりといいスタート切っている。

寒中水泳の様子は、見ているだけでブルブルしそうだ。
風邪をひかなければよいが…

私は、外にも出られずもっぱら家の中で過ごす。
暇だと昼寝でもしようかと考えてしまう。

しかし、娘にキレイにして何かしたらと言われ、化粧して モラでも刺そうかと気持ちを入れ替えた。

せっかくの時間を有効活用しなければ勿体ない。
今できることを 楽しんでいこう。

2025年1月1日(水
お正月
穏やかなお正月を迎えた。
一歩も外に出ないで元旦が過ぎようとしている。


新しい年を迎えたが、なんとなく冴えない。
何も言わないが、孫が一番寂しくつまらないお正月だったかもしれない。
みんなに迷惑をかけて申し訳なく思う。


年賀状に目を通した。

一枚だけ年賀のあいさつを卒業したいというのがあった。

寂しい気がするが、メールで挨拶を交わしても何ら問題ないかなと思う。

家族や親せき、友達などグループ化してメールのやり取りをしている。
お隣に住んでいたインド人家族からも、新年のあいさつが届いた。

仲間の様子を共有できることは楽しい。

そのうち年賀状の習慣自体がなくなっていくのかなと思うと、ちょっと複雑な気もする。


カナダに住む娘が、日本の年末年始の行事を大切に守り続けたいと、年越しそばやてんぷらを用意し、お正月のためにお餅をつき焼き豚も作ったよという。


今年は私も娘もけが人と病人ということでお正月らしいことをかなり省略しているが、来年はカナダにいる娘に倣ってもう少しお正月を楽しむ気持ちになろうかなと思う。


まずは、今年は細心の注意を払って行動し 周りに迷惑をかけないよう心していきたいと思う。

 
   
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